心 一章
「わぁ!」
 思わず感嘆の声がもれてしまった。それ程、目の前の夜景は素敵だったのだ。
「どう、気に入った?」
 私の後ろから、先生もベランダに出てきた。
「医学部の子から噂には聞いてましたけど、やっぱり先生、すごい所にお住まいなんですねぇ」
「すごい所って言っても、マンションだよ。そんなに大した額じゃない」
「でもやっぱりすごいです」
 私達二人は今、海に臨む高台の上に建つマンションの五階にいる。私の前には果てしなく広がる夜の黒い海と、眼下には海沿いを走る道路の明かりが広がっている。風が心地良く吹いてくる。
 先生と私は付き合い始めて二ヶ月だ。今日はドライブの帰りに、先生の家に寄った。先生の家の前を通るようなドライブに誘ったのは私、「家に寄っていかないか?」そう言ってくれたのは先生だった。つまり、そういうことだ。
 期待していなかったと言えば嘘になる。大嘘だ。実は先生の手を握るだけでも、身体に震えが走る。それどころか姿を見るだけで、何だかホワンとした暖かさに包まれるようだ。(それ程多いというわけではないけど)今までこんなことになる男性に会ったことはなかった。これが本当の恋というものか。などと、柄にもないことを考えてしまうのだ。心も、身体も先生を求めている。正直に書いてしまうと、そんな感じだった。大いに、期待していたのだ。
「ほら、あっちが江ノ島」
「ひゃ」
 横に立った先生は、私の肩に手を回して体の向きを変えてくれた。突然のことに、思わず変な声が出てしまう。キャミソールに薄手のカーディガンという今日の私の服装だが、布地を通して先生の体温が流れ込んでくるようだった。触れられている所の肌の温度が、実際に上がっているのではなかろうか。心拍数も、こちらは明らかに跳ね上がっている。
「ん?」
 いつもは冷静で落ち着いている先生の目が、悪戯っぽさを湛えて私を覗き込んだ。まるでこちらの心の内側を読まれているようで、私は恥ずかしさと、少しの嫉妬心を覚える。ずるいなぁと思う。いつもそうなのだ。先生は、まるで私の心が見えているかのような目をする。私には時々、先生の気持ちが分からないのに。

 先生と私の出会いは、半年程前に遡る。本当に偶然が重なった出会いだった。
 思い出すのも嫌なことだけど、私達一家は半年前、自動車事故に巻き込まれた。久しぶりの父の冬休みを利用して温泉に行った私達を乗せた車は、細い下りの山道でスリップを起こし、近くに生えていた杉の大木に激突した。運転していた父は帰らぬ人となり、後部座席にいた妹は車外に放り出され大怪我を負った。助手席の私も、頭を強打して意識不明の重態だった。その時、私の手術を担当してくれたのが先生だった。つまり先生は私の命の恩人なのだ。
 でも、手術した直後は、そんなことまるで知らなかった。意識を取り戻した私を待っていたのは、事故の調査や、父のこと、それに私達自身の今後のことといった、山積みになった問題だった。通り一遍の事故調査に続いて、わけもわからない内に父の葬儀も終わった。母は私達姉妹が記憶もないような幼い時に病気で他界していたので、私達には家と、まぁそう多くはないが父の預金だけが残された。とりあえず生活はしていけそうだった。後のことはまたその時考えればいい。
 ごたごたも何とか落ち着いてきてやっと、私は命を助けてもらった人に、お礼もしていないことに気が付いた。調べてみてびっくりしたのは、先生が私の通っている大学の大学病院に勤めていたことだった。事故当時は学会があったため、たまたま近くの街にいたのだ。私は脳内出血を起こしており、脳外科のスペシャリストとして先生が呼び出され、手術を担当してくれたということだった。
 初めて先生に会った時のことは、忘れようにも忘れられない。
 私はジーンズにセーターという、普段大学に行く時の格好だった。これは今でもちょっと悔やまれる。片手に脱いだコート、もう片方の手にはお土産のケーキの入った箱を持って、先生の診察室のドアをノックした。返事があって中に入った時私は、事故の後初めて、心から安らいでいる自分に気が付いた。自分でも不思議だった。でも、先生の姿をみた瞬間、これ以上ないような安心感に包まれたのだ。医師らしく清潔そうな白衣も、細くて長い指も、落ち着いた声も好ましかった。しかしそういうことを抜きにして、私は先生の全体から、何か例えようもなくほっとするものを感じていた。心がどんどん引き寄せれれるのを、止めることができなかった。
 ノートパソコンで何かやっていた先生は、振り返って私に椅子を勧めてくれた。私は座って話し始めたのだけれど、実は何を話したのかはほとんど覚えていない。お酒を飲んだ時のような、何だか夢の中にいるような気分だった。
 気が付いた時には、次に会う約束を取り付けていた。
 そして、今に至るというわけだ。

 先生の目が、私を覗き込んでくる。肩に回された腕の感触を、やけに感じる。
「江ノ島・・・」
 つい意味のない言葉が零れてしまった。頭の中が麻痺したようで、何も考えられない。それなのに妙に冷静な自分がいる。
「うん」
 先生がそう言った。小さなその声は、しっかりと私の耳に届いた。そのことで改めて、先生との距離の近さを実感する。もう逃げられない。変な表現だが、その時私は、それを悟った。この先に待ち受けることに対して、胸が高鳴る。そして少し、怖くもある。
 小柄な私は長身な先生に、肩を抱かれているというよりはくるまれているというような格好だった。先生の瞳には私の顔が映っている。
 私は自分の目があまり好きではない。ほっそりとした顎のラインも、まぁ比較的小さい口も、小作りな鼻も割りと気に入っているのだが、父譲りの目が、昔から嫌だった。私は、(多分母親に似たのだろう)妹のような、優しい目が欲しかった。私の目はキツ過ぎるのだ。二重で、目じりが上がっている。なんだかいつも気を張っているように見える。
 私はその目を閉じた。抱き寄せられる。先生の固い身体の感触と温度を感じる。
 唇に、暖かいものがそっと押し当てられた。
 さっきまで感じていた緊張が、波のように引いていき、代わって身体の内側を温かい安心感が満たしていく。力が抜ける。先生にもたれるような形になってしまう。唇が触れ合っているというだけで、どうしてこんなことになってしまうんだろう。
 一度唇を離し、私達は目を開けてお互いを見つめ合った。空いていた手を先生の首に回し、正面から向き合う。今度は私から求めた。
 少しだけ開いていた唇の間から、先生の舌が侵入してくる。
「んっ・・・」
 舌と舌が絡まりあった瞬間、背筋を何かが駆け抜け、思わず声が漏れてしまった。
 キスだけでこんなに気持ちがいいなんて・・・。
 私はさっきまでの甘美な恐怖が、再び訪れるのを感じていた。
 それでも止めることなどできなかった。目を閉じている分だけ意識が集中する。先生の舌は私の口内をまさぐり、それが確かに意志を持ったものなのだと実感させられる。私はそれに、必死で応えた。舌と舌が触れ合う湿り気を帯びた感触が、たまらなく心地良い。時折全身がビクリと震えてしまう。
 暫く夢中で唇を貪ったが、私は半ば強引に、自分の意志に反してそれを離した。実は私は、今まで性的に達したことがない。でもこのまま先生とキスを続けていたら、恐らくそうなってしまうのではないか。そんな危惧が頭を掠めたのだ。
 荒い自分の呼吸音が聞こえ、急に羞恥心が湧いてきた。ファーストキスなのに何だか一人で盛り上がっていた気がする。先生もそれに気が付いていないはずはない。先生の目を見ることが出来なくて、私は俯いた。
「部屋に入ろうか」
 先生が耳元で囁いた。

 先生に手を引かれ、ふらふらした足取りで寝室まで辿り着いた。十畳程の大きさで、縦に長い。大き目のダブルベッドが置いてある他は棚が一つだけの、シンプルな作りの部屋だった。入って左側の壁が一面ガラスになっていて、そこからも海が見える。
「あ、あの、私シャワー浴びてきます」
 入ってすぐに私は言った。だって、多分さっきのキスで、結構大変なことになっていると思う。
 返事も待たずにクルリと背を向けた私を、先生は後ろから抱きしめた。
「このままでいい。このままでしよう」
 私の首元に顔を埋めるようにして、先生が言う。首筋に吐息を感じる。胸の鼓動が早くなる。頬が、燃え上がるように熱くなる。
 動けなくなった私の服を、後ろから先生は脱がして行く。カーディガンが床に落ちる。キャミソールを脱がされる時、先生の方へ向き直らされた。一瞬、小さい時に父に服を脱がしてもらった時のことを思い出す。
 私は下着姿が恥ずかしくて、先生の胸に顔を押し付けた。
 スカートの外し方が分からないのだろう、私の腰の辺りを遠慮がちにさ迷う手が可愛い。私は覚悟を決めた。手を重ね、ボタンの位置まで先生の手を導く。スカートも衣擦れの音を立てて落ちた。
 お返しとばかりに、今度は私が目の前にあるワイシャツのボタンを外していく。これまで主導権を握られていた気がするので、されるがままになっている先生は新鮮だ。少し嬉しくなる。
 しかし、脱がせたワイシャツを床に落としていいものかどうか迷っている間に、先生は自分でその下に着ていたティーシャツを脱いでしまった。細身の、引き締まった身体があらわになる。心臓が一つ、脈打つ。
 先生はそのまま私を抱き上げ、ベッドまで運んだ。頬が先生の胸に密着する。直に接する肌の感触に、私はますます上気してしまう。
 ベッドの端に座らされた。先生は腰を落とし、目線を合わせてくれる。私達はお互いを見つめ合った。先生の目はまたあの悪戯っぽい、見透かすような目だ。口元は柔らかく、ほんの少し微笑しているようにも思える。
 どうしよう、どうしよう。私の頭は混乱していた。確かにこうなることを望んでいたが、いざ本当にその場面になると、映画でも見ているように流されていく自分がいる。そのくせ、自分でも驚く程昂ぶっているのが分かる。
「見せて」
 急に、先生に言われた。
「えっ?」
 一瞬意味が分からず、きょとんとしてしまう。何度か頭の中で繰り返して、やっとそれが自分で下着を取ってくれと言っているのだと理解し、途端に羞恥心に襲われた。先生は無言で待っている。私はそんな先生に、いつも逆らうことが出来ない。
 左手で胸を隠しながら、右手でおずおずとブラジャーのホックを外した。下に落とすパサリという音が、やけに大きく聞こえる。心臓が早鐘のように鳴り始める。
「全部見せて」
 先生はゆっくり手を伸ばして、私の胸の前の手に触れた。それだけで私の左手は、意志を失くした様に下がってしまう。
 先生の前で私は無防備にさらされる。恥ずかしくて前を向いていることができず、私は首を横に向けた。
 先生のあの瞳が、私を見つめているのを感じる。患者になった気分だ。先生は私をどう見ているのだろう。私はお風呂上りなどに時々見る、自分の裸を思い浮かべた。痩せていて、胸だってそんなに大きくない。手足は長いが、それをスラリと形容するかヒョロリと形容するか、微妙な所だろう。
 ずい分長い間、先生は私を見ている。恥ずかしさでもう限界だ。恐らくさっきのキスでショーツまで濡らしてしまっていると思う。それも見られているだろう。それでも私は先生に逆らえない。いっそ何か、何でもいい、して欲しい。これでは生殺しだ。多分私は、顔まで真っ赤になっていたと思う。
「可愛いよ」
 先生の観察は突然終わりを告げた。耳元で囁かれながら、私はそのままベッドに押し倒された。

 打って変わって激しい愛撫が待っていた。乱暴な、と形容してもいい。
 残っていたショーツもいつの間にか下ろされていた。先生の手はまるで私の肌全てを味わい尽くすかのように、あらゆる所を撫で回した。肌だけじゃない。唇が重ねられ、口内に侵入した舌も激しく動く。
 私は与えられた快感に、ただむせび泣くしかなかった。
 まるで肌が、普段の二倍も三倍も敏感になったようだった。先生に触れられている所全てから快感のさざ波が広がり、指で、手で、愛撫された箇所は、熱い様な痺れるような感覚を伝えてくる。下半身を擦る、先生の履いている綿のパンツの感触さえ、快感に変わる。気持ちよさで頭の許容量は一杯で、そのくせに、もっと先生と一つになりたいという望みが、後から後から湧き出てくる。
 夢中で先生にしがみつき、口内の舌を吸った。独りでに何度も、腰を押し付けてしまう。
 先生の右手が脇腹を経由して腰を通り、内腿に辿り着いた。そのまま這い上がった手が股間に触れた時、私はあっけなく、まぎれもない絶頂に達した。
「んーー!!は、はぁ!!」
 電気のような感覚が這い登り、後頭部の辺りでスパークする。身体が意志に反してびくびくと跳ねる。堪え切れず私は、口を振りほどいて声を上げてしまった。
 頭のどこかで、何かが警告を発していた。指を入れられたわけでも、直接愛撫されたわけでもない。ただその場所に触れられただけだった。それなのに私は、脳の中に焼き付けられような絶頂感を感じてしまっている。明らかに何かが異常だった。
 でも、昂ぶりも、先生の愛撫も止まらなかった。束の間感じた私の疑問は、奔流に押し流された。
 私は快感の波に乗ってしまったようだった。何かが次々に押し寄せ、頭の中が真っ白になる。秘所からとめどなく湧き出る液体が、先生の手を濡らしていく。
「は、ん、んん、んはぁ!」
 鼻にかかった声が勝手に上がってしまう。
 先生の唇が、右の首筋に押し当てられ、舌でうなじを辿った後、耳たぶを甘噛みされる。産毛が逆立つような感覚が湧き起こり、私はシーツを握り締めてそれに耐える。
 やがて二度目の絶頂がやってきた。
「ふぁ、あーー!」
 信じられないことに私は、胸の先端が先生の肌の上をすべる感触で達してしまっていた。

 荒い息を吐きながら、先生が身体を離した。綺麗に整っていたはずのシーツが、くしゃくしゃに乱れてしまっている。
 私は静かに引いていく昂ぶりの中で、今の感覚をうっとりと反芻していた。切れ切れに見た先生の手の映像が浮かぶ。
「んっ」
 その手に両足の間を触られた感触を思い出しただけで、声が漏れてしまう。
 だが自分でも恐ろしいことに、引いていく熱の中で、熾き火のように下腹部だけが熱くなっているのが分かった。まだ満足していない。自分の欲望に気が付いて、私は慄然とする。再び頭の片隅で異常事態を告げる警告が発せられた気がしたが、もう私はそれに関わる気を失くしていた。今までに与えられた快感も初めて経験するものだったが、これから自分の身に起こるであろうことは、全く想像も出来ない。怖くはあるが、私はその先を体験してみたくなっていた。
 気が付けば、先生は全裸になり、こちらに背を向けてベッドサイドに腰を下ろしていた。避妊具を着けているようだ。
 先生、意外に筋肉あるんだなぁ・・・。
 まだぼーっとした気分ながら、私は初めて、先生の身体を冷静に見ることができた。時々サーフィンをやるという話しは聞いていたが、普段大学で合う時や、デートをする時のイメージでは、もっと痩せていると思っていたのだ。肩から背中にかけても張りがあるし、腰もキュっと・・・。
 そこまで考えて、私はまた頬が上気してくるのを感じた。先生の腰の、こちらからは見えない側まで想像してしまったからだ。自分でもどうかしていると思う。別に経験がないわけではないのだ。それなのに先生に関してだけは特別で、思い浮かべるだけでドキドキしてしまう。
 恥ずかしくなったのと、そろそろ温もりが恋しくなったのとで、私は先生の側までズリズリ這って行った。思い切って手を回し、座っている先生の腰に頬を押し付ける。途端に暖かさが心を満たす。思わずため息を吐く。
 こういうのを幸せっていうのかねぇ。
 口調までおばぁちゃんのようになりながら、私は染み出てくるような思いを噛み締めた。
「んー?」
 先生は上体を捻って私を見ると、片手を頭に置いて撫でてくれた。
 堪らなくなって私は、先生の腰骨の辺りに何度かキスをする。
「でーきた」
 いささか間抜けな声を出して、先生は私の両手を優しく解いた。振り向いて、額にキスをしてくれる。そのまま私をベッドの中央まで導いた。

 私はクッションの効いたベッドに仰向けで横たわった。先生は膝立ちで進んできて、私の足の間に身体を入れた。
 どうしてもちらちらと先生の股間が目に入ってしまう。細身の身体と比べてしまうからだろうか、やけに大きく感じられる。さっきまで私の内側を満たしていた温もりは、どんどん温度が上がっていき、もうすでに火照りと呼んでいいようなレベルになっている。
 先生の上体が覆い被さってくる。まずは唇が重なった。自然と舌が絡まり合う。片手が胸元に伸びてくる。さっきとは違い、ゆったりとした愛撫だ。包み込むような、優しい動き。
「んっ!」
 それでも手の平が、指の腹が胸の先端を掠める度に、私は火花が散るような快感を覚える。
「んはぁ、はぁぁぁ」
 先生が口を離すと、私の口からは自然と喘ぎ声が溢れ出た。
 さっき弱点だと分かってしまったのだろう、先生の唇はゆっくり首筋を辿ってくる。
 私はどんどん追い詰められていく。どんどんどんどん・・・。
「先生ぇ・・・」
 私は堪らずに、先生の頭を必死の思いで押し留めた。明らかにさっきより昂ぶっているというのに、頂点まで達することが出来ない。下腹部は心臓の鼓動一回毎に、じんじんとした疼きを送り返してくる。もう限界だった。
「ん?」
 顔を上げた先生の目は、やはりあの目だった。全てが分かっていながら見届けるような、悪戯っぽい目。その目が私に先を促している。最後まで言えと言っている。
 私はこみ上げてくる羞恥心と戦いながら、囁くような声で告白した。
「・・・お願い、もう入れて下さい・・・」
 先生は微笑を浮かべ、ゆっくりと頷いた。一旦腰を引き、位置を調整する。秘所の入り口に、先生の先端があてがわれるのを感じる。
 無意味ながら、思わず下方を見てしまう。私の全身は、手も胸も足も桜色に染まっている。胸の双丘越しに、密着している先生の身体を見る。顔を上げると、もう笑ってはいない先生と目が合った。
 先生の上体が再び覆い被さってくると同時に、私の体内にも先生が入り込んできた。
「ひぁ!」
 私はシーツを握り、唇を噛んでそれに耐え、耐え切れずに声を上げた。
 まるで熱した鉄の棒のような感触。熱く、固い。だけどその棒が少しでも前に進む度に、そこから快感が生まれ、私の子宮の中を飛び回り、背骨を駆け上がって頭の中に飛び込んでくる。
「ふぁ、はぁーーー!!」
 ゆっくりとした動きで先生が最奥にまで到達する間、私は幾度も絶頂を迎えた。
「か、はっ」
 気が付けば私は、必死で先生にしがみついていた。動きが止まったことでやっと状態を認識することができた。
 確かな異物感と共に、先生が私の中を満たしてくれているのを感じる。時々不規則に先生が大きくなる気がするのは、私の内部が収縮しているからだろう。身体を内側から暖めるような喜びが、自然に湧いてくる。
「気持ちいい?」
 先生の声が耳元で聞こえる。
「気持ち、いい・・・、です・・・」
 普段なら到底答えられないような直接的な問いにも、快感に焼かれた私の脳は、素直に答えを返していた。
「動くよ」
「あ!駄目、ちょっと待って!あ、あぁ!!」
 落ち着きかけていた私の感覚は、先生の一言で、再び嵐のような快感に見舞われた。
 秘所はもう泉のようになっていて、初めはゆっくりと、段々激しくなる先生の動きに連れて、湿った淫猥な音を立てたが、もはや私にはそんなことを気にしていられる余裕は、跡形もなく消し飛んでいた。
「ひっ、あ、はぁぁ、駄目、ひぁぁ!!」
 自分でも何を口走っているのか分からない。さっきまで先生が少しでも動く度に感じていた快感が、一ストローク毎の大きな塊になり、その塊がさらに集まって、一つの大きな波となった。そんな波がいくつもいくつも押し寄せ、私の意識を洗い流す。雪だるま式に増えていく快楽には限界がないようによう思えた。あまりのことに涙が流れ出す。
「ふぁぁぁぁぁーーー!」
「くっ!」
 だが先生が私の中で一瞬膨らみ、最奥を突いて動きを止めた時、私はそれまで感じたことのないような感覚に捕らえられていた。
「ーーーーっ!!」
 一瞬の浮遊感。まるで宇宙空間にいるような、自分の身体がなくなってしまったかのような、そんな感じ。周り中何か暖かいもので満たされ、その中を漂っているようでもある。意識の上を直接滑るそれら暖かいもの全てが、この上なく快く、ずっとここにいたいと思う。
 しかし、一瞬後には私は身体の中に戻っており、今度は逆にどこまでも続いていくかのような落下の感覚を覚えていた。
 落ちるに連れて私の精神は、闇に閉ざされていった。

「・・・ああそうだ、例の・・・そう、今日から・・・」
 先生が誰かと話している。
 私の頭の下には枕が敷かれ、身体の上にはきちんとシーツがかけられていた。横を見ると、ガウンを羽織ってベッドの端に腰をかけ、携帯電話で話している先生の姿が見えた。それだけで、少し嬉しくなってしまう。
 一体さっきのはなんだったんだろう・・・。
 私は思い返す。とても幸福で、最高に気持ちのいい感じ。
「癖になりそうだぜ・・・」
 冗談めかして呟いたつもりが思ったより大きく響いたのと、半ば以上本気なことに気付いて、私は思わず上体を起こしてしまった。慌ててシーツで胸元を隠す。まずい。先生に聞こえたかもしれない。
 途端に私は、行為の最中のあれこれまで一遍に思い出し赤面する。
 自分で快感を訴え、「入れて欲しい」などとお願いまでしている。初めての夜だというのに、どういう女なんだ、あたしゃ・・・。しかも達している最中には涙まで流していた。あ、化粧がまずい・・・。
「起きたみたいだ。ん?代わるのか?」
 あわあわし始めた私の気配で分かったのか、先生が振り向いた。
「ハイ、電話。樺山から」
 突然目の前に携帯電話を差し出された。私はつい勢いで受け取ってしまう。
 樺山?誰だっけ?
 疑問に思いながら、電話機を耳に押し当てる。先生は再び背を向けると、どこから取り出したのか煙草を吸い始めた。
 あれ?先生、煙草吸うんだ・・・。
「もしもーし」
 受話器から流れてくるそう若くはない男の声で、私は相手が誰だかやっと分かった。樺山病院院長、樺山先生だ。私と妹が事故直後に、手術を受け、入院していた病院の院長先生だった。何度か言葉を交わしたこともある。巡回と称して、週に何度か入院患者の病室を回ってきていた。自意識過剰なのは分かっているが、どうも執拗に見られている気がして私は好きになれなかった。いかにも田舎の病院の二代目といった、あけすけで、陽気で、少し下品な人物だったことを覚えている。
「あ、どうもご無沙汰しています。その節はお世話になりました。長谷川です」
 なんでこんな時に、こんな人と電話しているんだろう。ほとんど機械的に社交辞令を述べつつ、私はこちらの状況が気付かれやしないかと、ヒヤヒヤしてしまう。
「久しぶりー。元気してたぁ?失神しちゃったんだって?だいじょぶ?」
「えっ・・・」
 それまでまだ残っていた夢見心地の気分が、一度に覚めた。
 何故この人がそんなことを知ってるんだろう?まさか先生が話したのだろうか・・・?
「やっぱりそんな気持ちいいんだ。すごいね。ね、どう?自分の父親を殺した男と寝るのって、どんな感じ?」
 絶句した私に関係なく、樺山院長はしゃべり続けていた。
「ねぇ、ちょっと。ちょっと待ってください」
 私は落ち着いて、樺山院長の話しに割り込んだ。耳に聞こえていた周りの雑音が急に消えたように、頭の中がしんとなっている。急速に血の気が引いていく。
「何ですか、それ?私の父親?」
「あ、いけね。まだ話してなかったのか。まずいなぁ。あ、それはさぁ、直接あいつから聞いた方がいいと思うんだよね、うん。じゃぁよろしく伝えておいて下さい」
 プッ。
 唐突に電話は切れた。後には、私と先生だけが残される。
 まず、携帯の通話モードを終わらせよう。
 私はまるで手順を確認するように、携帯電話のパネルを眺め、通話終了のボタンを押した。
「もー先生、なんで人に話したりするんですか。恥ずかしいなぁ」
 殊更普通に聞こえるように私は言った。先生は無言だ。
「それに樺山さん、変なこと言ってましたよ。父を殺したのは先生だ、って」
 何かが壊れないようになるべくさらりと言ったつもりが、言葉にしたことで私は改めて樺山院長の言ったことを認識してしまった。先生が父を殺した?もちろんそんなのは冗談だ。あれは確かに事故だったのだから。でも、全く笑えない冗談だ。
 私は、やっとここ最近思い出さなくなっていた感情が、胸に甦ってくるのを感じていた。父がもうこの世にいないという、例えようのない喪失感。
「そうか」
 先生は煙草の煙を吐き出した。
「どう切り出そうか、少し迷ったんだが」
 先生はそこで言葉を切った。沈黙が降りる。
「冗談でしょ、先生?」
 私は、まるでドラマの台詞のようなことしか言えない自分に歯噛みする。
「だってあれは事故だったんですよ。車が氷で滑って、曲がり切れなくて・・・。もしかして、何か医療事故とかあったんですか?でも先生は私を救ってくれたじゃないですか。父は即死だったって、警察の人が言ってました。そうじゃないんですか、先生。でも先生は最善を尽くしてくれたんでしょ!?」
「落ち着け。話を聞け、舞」
 先生の一言で、私は黙った。
 そうだ、まず話を聞こう。真実を知ろう。
「君の父親は、全身打撲で即死だった」
 先生はそこでまた一呼吸置いた。私は話しの続きを待った。
「君が頭に怪我を負うこと。そして君の父親が死亡すること。この二つがポイントだったんだ」
 私は何か嫌なものが、胸の内側でどんどん大きくなるのを感じていた。まるでそれが本当にあるものかのように、肺が圧迫され呼吸が苦しくなる。
 嫌だ、聞きたくない。
 痛烈なその思いとは裏腹に、先生の話しに耳を傾けることを私は止められなかった。
「大学の身体測定のデータを基に、君のシートベルトは調整した。君の家のガレージ、あそこは誰でも入れるだろ?細工するのはそう難しくなかった。警察の所見では、整備不良になってたけどね」
「場所を選ぶのが一番苦労した。峠を何度も往復してね。でも絶好の場所が見付かった。あのカーブだ。ガードレールもなく、直前にスピードが出やすい。そして何より、右側にだけ障害物がある。運転席の側だけにね。後は君らが宿を出るタイミングで、水をまいてアイスバーンを作ったんだ。あれが失敗したらその次の計画もあったんだけど、一つ目で成功した。君らの車はカーブを曲がり切れず、道を飛び出し、一直線に激突した。あの、杉の大木に」
 先生はそこで二本目の煙草に火を点けた。
「助手席に妹さんが座るのが、一番心配だったんだけど、君で良かったよ。まぁ妹さんも助かったしね。運が良い」
 最後の言葉を聞き終え、先生の口から煙草の煙が吐き出されるのを見た瞬間、私の中で何かが切れた。
「人殺し!!あなた自分が何をしたか分かってるの!?父を、私の父を殺したんだよ!!それに妹も、妹も死ぬところだった・・・」
 私は激昂した。叫んでいた。ベッドから降りて手に持っていた携帯電話を投げつけたが、狙いは外れ、先生の、あいつの背後の壁に当たった。
「静かにしろ。大声を出すな、舞。これは命令だ」
 だが叫び続けていた私は、あいつのこの言葉を聞いた瞬間、何かが喉の奥で詰まったように、声が出せなくなってしまっていた。
 そうだ、今は夜だし、こんな声を出したらご近所にも迷惑だろう・・・。
 時間にすれば一秒の何十分の一かという位の時間だっただろうが、私はこんなことを考えていた。それに気が付き愕然となる。
 違う!今はそんなことを気にしている場合じゃない!!
 再び激情に任せて声を出そうとした私に、次に襲ってきたのは底知れない恐怖だった。
「くっ・・・!」
 目の前が真っ暗になる。まるで大声を出したが最後、世界中の人が私を見捨ててしまうのではないか、そんな気持ちになる。駄目だ。
「ハァ、ハァ、ハァ・・・」
 私は胸に片手をついて、吸い込んだ息を吐き出した。大声を上げる気を失くすと、恐怖は嘘のように去っていった。
「そうだよ、舞。君は僕の命令には逆らえない」
 何、今のは・・・。
 内心の動揺を悟られないよう、ありったけの憎しみをかき集めて私はあいつを睨み付けた。
 あいつはいつも通りのあの目で、私を見つめていた。まるで心の中まで見透かすかのような、あの目。心の中まで・・・。
 私はほとんど無意識に、自分の髪の中に指を差し入れた。今はもう隠れて見えないが、そこにはまだ生々しく、手術の跡が残っているはずだ。
 私は身震いするような予感に捕らわれながら、あいつに聞くしかなかった。
「あなた・・・、私に何をしたの?」

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