マイアメーバー増殖
 昨日、誤って4月分の日記を別のものに上書きしてしまった。しかもハードディスクだけでなく、ネット上のものまでもである。
 打つ手なし。
 たったのクリック二回で、こつこつ書き溜めた1ヵ月分の記録は、この世界中のどこからもなくなってしまったわけである。まぁ、たいした記録ではないことだけは確かなので、その点、良かったと言えば良かったのだけれど。
 でも、当人にしてみれば、やはりそれなりのショックである。外部記憶という面もある。それなりに心をこめて書いた文章もある。他人は他人、自分は自分である。ボートはボートで、ファックはファックである(←この表現については村上春樹「そうだ村上さんに聞いてみよう」参照)。
 それなりの悲しみを抱え、それなりに落ち込んでいた僕は、しかしはたと気が付いた。確かブラウザにはキャッシュというものがあったはずだ。通信の手間を省くために、ブラウザは行ったページをハードディスク内に留めておくという話しを、聞いたことがある。
 拙い技術で色々調べてみた結果、ハードディスク内のキャッシュ置き場は見つけることができた。しかし、むべなるかな。そこにある「4月の日記のキャッシュ」はすでに新しいものに差し替えられていた。当然と言えば、当然の話しか。
 しょうがない、後は友人の家に押しかけて、「キャッシュはどこじゃ〜」のなまはげ状態になるしかないなぁ。しかし、「行ったことのあるページ」というある意味とてもプライベートなものに踏み込まれることにはもちろん抵抗があるだろうし、踏み込む方にしたって気まずい。自分の裸を見られるより、本棚を見られる方が恥ずかしいと言う言葉もある。そう思っていったん諦めたのだった。
 しかし、結局僕は4月の日記を修復することに成功した。  日記を見つけたのは有名検索サービス「Google」のキャッシュだった。だめもとだと思って、日記のタイトルで検索をかけてみたところ、「Google」のキャッシュにそっくりそのまま、自分の日記が残っていたのである。
 自分が書き飛ばした1ヵ月前の駄文が、どことも知れないコンピューターのハードディスクに記録されている。なんとも言えない、独特の感触である。細胞分裂したアメーバーが、進化しきれていない片割れを見たらこんな気持ちになるような気がする。やぁやぁ、君はそんな所にいたのかい。そうやって増殖していたのかい。
 宮沢章夫氏はエッセイの中で『憂鬱という言葉を知らない人が、「ぐほーんっていうか、ずほーっていうか、なんだか、ここらあたりがね」と自分の胸を押さえる』というような描写を綴っているが、(「青空の方法」朝日新聞社)、僕のこの感触もそれに近い。この感触にぴったりの言葉を、僕は知らない。  しかし強いて大まかにくくる言葉を探すのであれば、それはやっぱり「おもしろい」なのだった。

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