死について
 人は死について考える時、何がしか崇高なイメージや荘厳な印象を抱くものだが、実際に突発的な死に直面した場合、思ってもみなかった行動を取る自分を発見して驚くようなことがあるのではないだろうか。
 どちらかと言えば、人より死に易い人生を送ってきた。
 2歳の時に病気で、医者に死の宣告をされた時が一番死に近かったように思われるが、それ以外にも、結構死にそうになることが多いと思う。
 先日は、交通事故にあった。左前後輪が脱輪を起こしていたが、その脱輪で道路わきの溝にタイヤがうまくはまってくれなければ、おそらくそのまま崖に激突していただろうという事故である。
 私は後部座席に座っていた。車には三人の人が乗っており、私以外の二人は助手席と運転席に座っていたのだった。
 私が色々感じたのはもちろんなのだが、一番印象に残ったのは助手席の人物が「ほーほー」言っていることであった。
 おそらく運転者に、左に寄り過ぎであることを注意したかったのだろうと思う。目の前に迫る崖の恐怖は、左側に座った助手席の人物が一番感じていたことであろうし、それによって慌ててもいたのだろう。結果、彼の口をついて出た言葉は「ほーほー」であった。
 また、別の話しをするのであれば、それは20メートルほどの高さの、ピラミッド型の建築物の外壁に登った時のことであった。
 一体何故そんなことをするはめになったのか話すと長くなるのでやめるが、要約すれば酔っ払っていたのである。
 ほいほいと、いい調子で登ってきて、ふと下を見た時にまず感じたのは、これは死ぬなということであった。一応命綱らしきものは着けていたが、まことに心もとないものであった。
 ちょっと手を離せば死ぬという時の気分は、なかなか味わい深いものである。心より先に身体が反応する。まず、下腹部の辺りが、きゅーんと縮まるような感じになる。そして、びっくりしたのは手の平が驚くほど汗ばむということだ。そんなことをしたら余計滑りやすくなるではないか。思わず身体に活を入れたくなるのである。
 下に降りるのは登るのより難しいという理由で、頂上まで登り切った私に、先に登っていた友人がかけた言葉は「ほら、見てみ。きれいでしょう」であった。確かにその建築物の頂上からは街の光が遠く見え、ありきたりな表現であるが、宝石を散りばめたような夜景が広がっている。しかし、死に直面した身にとって、そんなものを見る余裕などないのである。そんなことを言われてもただただ混乱するだけである。なんとか返事をしようと思って私の口をついて出てきた言葉は、「ひゃー」であった。意外なほど風が吹きつけてくる20メートルの高みで、私はただ「ひゃーひゃー」言っているのであった。
 人はある種の突発的な死に直面した時、「ほーほー、ひゃーひゃー」言う。大脳新皮質の向こうからやってくる、しかしそれは真実の反応なのである。
 でもやっぱり、ことが全て終わってから思うのは、他の大抵のことならいいが、死ぬのは嫌だなぁということである。それもまた真実。合掌。

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